ビンテージ・マイクを求めて(その1)の続きです。
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その頃、私は横浜の上大岡というところに住んでいました。横浜といえば、日本でハーモニカが初めて上陸した土地です。
翌年、横浜で「国際ハーモニカフェスティバル95」が開催。
ネットやスマホの時代ではなかったので、ハーモニカの情報は、血眼になって捜し続けていました。
それだけハーモニカが大好きだったのです。
歌とハーモニカが自分のスタイルになり始めたのも、この頃からでした。
ビンテージ・ショップ
さて、音が出なかった私はどうしたか?
あれほど慎重にやったハンダづけは失敗していないと確信していました。
ハーモニカの情報誌をみたりジロキチで渡されたフライヤーに載っていたのが吉祥寺にヴィンテージギターを取り扱っているお店。
そこでハーモニカやマイクを売っている、修理してくれる。
との記事が目に入りました!
ハーモニカの神様、マイクの神様は見捨てなかった!
そんなことを思いながら、2時間近くかけて吉祥寺へ。
今は東横特急(東急東横みなとみらい線)で横浜~渋谷間を約30分くらいで往復できますが、
当時は大変だったんですよ~。
事情を話してテスターでチェック
やっとお店について事情を話すと、職人気質の店長は
と言って奥に入って行きました。
奥の工房でテスターを取り出し、チェック。
出てきた店長は、不安げな私に向かって、
断線している商品を売りつけられた結末は?
その時私は何が起こったのか分かりませんでした。
ワケが分からないまま、目の前が真っ白になっていく私でした。
と心の中で、まだ状況が飲みこめない私に店長はさらに一撃を・・・
いい加減に状況を受け入れろよ!といった声が聞こえてきそうです。
でもね。諦めきれなかったんですよ~っ(泣)
これまで英語を使って、慣れない英文レターの書き方を勉強し、
数回の手紙のやりとりをし、外国為替でドルに決済して・・・
そんなことを思い返していたら半べそ状態になってきました。
ほんと、半分泣いていたかもしれません。苦笑
一筋の光
そんな私の姿を見た店長が、私のことを哀れに思ったのか、ひとこと言いました。
私が飛びついたのは言うまでもありません!
ただ、これだけ伝授してくれて、「ありがとうございました」というのも店長に失礼だと感じたので、
半分ビンテージはオリジナルマイク
こんなワケで、半分ビンテージマイクが誕生したわけです。
でも、これは自分のオリジナルマイク。この組み合わせは、ほとんどないし、シャープな歪みも自分に合っています。
使う回数はGreen Bulletや545SD程ではありませんが、使う時はいつも思い出しながら使ってます。
いろんな意味で投資したからこそ、そのモノは大切に扱う。
ちょっと壊れると、すぐに買い替えたり、モノのありがたみが薄れている今日だからこそです。