2019年が明けました。
昨年は皆様には大変お世話になりました。今年もワンバイブスをよろしくお願い申し上げます。
このサイトも教室も僕自身もスタッフも生徒さんも、そして、関係している方々、共に成長してゆける良い年にしたいし、そう成りたいし在りたいと願っています。
今年の目標を一文字で表すと・・・♪
年が明けた矢先から年末のことを話して申し訳ないのですが、よく年末になると、その年の世相や思いを漢字一文字にして表してみようといったアレです。
日本の習わしとして年始には「書初め」を行なう方もいらっしゃるかもしれませんね。小学校で冬休みの宿題にも出されていたような記憶があります。そして、現在でも年の初めに毎年やっている方も・・・。でも大抵は一文字では表していませんよね。(もし、表していたらご一報くださいな(笑))
こんな素朴な疑問がわいてきました。なので、今年のお正月にやってみました。僕が選んだ漢字は・・・、
扉
こんな感じに漢字を当てはめました(笑) よかったら、あなたもやってみてください。
どうして「扉」なの?
今回は、お話が少しばかり抽象的になってしまいます。しかし、2019年が終わる頃、3つの具体的な経過や結果となって、堂々と皆様にご報告できれば、と考えております。
何故「扉」にしたのか?
それは、周りにある扉に気づけるかどうかということと、気づけたらその先のことを見据えて開(あ)けられるどうか?それを試してみたいからです。
僕たちの周りには、いろんな扉があると思います。扉って、まずそれを開(あ)けられるかどうかです。多分、自分の周りにある扉は、誰もが気づくことができるでしょう。
ただ、気づいていながら開(あ)けないという人もたくさんいるといった状況もあります。
開(あ)けられない扉は、本人の実力不足。または、今はまだ開(あ)ける時期ではないということでしょうか。一生懸命にもがいた結果、開(あ)けられなかったり、中途半端に開(あ)いてみたり。また、中途半端に開(ひら)いていたり。
開(あ)けようとする場合、自分自身の力で開(あ)けるのか?他人との協力しながら開(あ)けるのか?
開(あ)けたら開(あ)けたでその先の世界とどのように繋がるのか?置かれている環境や立場によって、出来たり出来なかったり。開(あ)けるんだけれど、今はまだ開(ひら)くタイミングではなかったりもします。
他の世界や他人と関わりたいときには扉を開(ひら)き(心の扉という言い方もします)、自分にとって望ましくない場合、関わりたくない場合は扉を閉じます。
扉を開(ひら)いていなければ、新しい世界が見えてきませんし、コツコツと努力して続けてきたことが実になることも感じ取れません。逆に扉が開(あ)いているがゆえに知られたくない部分を知られて、大切な価値観を揺るがされる場合もあります。
扉の開き方と自己矛盾
さらに、扉を開(ひら)くことで自分の矛盾にも気づくかもしれません。何故なら扉を開(ひら)こうとするとき、そこに自分自身の責任が伴うからです。
扉を閉じていると、
- ステレオタイプの考え方
- 偏見
- 差別
- 人に依存したりする
という行為を知らず知らずのうちにやってしまっている場合もあるでしょう。世の中のことや社会のことを憂いていながら、また、平和を求めていながら、身の回りの人に対しての偏見や差別といった行為はないでしょうか?
また、自分にとってプラスに動く人や、都合の良い人だけを選んで、自分とその周りの環境下にある人だけ幸せになればいいと感じてはいないでしょうか?世の中の情勢なんてどうでもよい。自分が不利な状況の時には力ある者に対して盾突き、そうでない場合には我関わらずにはなっていないでしょうか?
当然、世の中の全てを知ることは難しいと思います。ここで僕の言いたいのは、見て見ぬフリをしていないだろうか?
ということなんです
偏見や差別をして優位の立場に立ったとしても、それは競争ではないことは、ちょっと考えれば理解できるはずです。弱い立場の者に勝ったところで、それは勝者とは言えません!
僕も含めて人は完璧ではありません。でも僕は、「完全でない自分」を隠れ蓑として言い訳にしたくはありません。扉に気づき、扉を叩き、開(ひら)こうとしない限り、どんなに立場が偉い人でも、凄いことをやってきた人であっても、そういった自己矛盾に気づくことは、まずできないでしょう。
要らないものを手放すために、ちゃんとした自分自身の本音を覗くために、扉に気づき、扉を叩き、開(あ)けること、開(ひら)くことは大切なんだと感じます。
具体的に開(あ)けてみたい扉は3つ。それは、確実に皆様の力になれるような、サポートできるような「声関連」のことが含まれています。