今でこそ、小さなボイトレ教室の代表室長をやらせていただいていますが、私がボイストレーニングの仕事をしようと決めたきっかけは何だったのでしょうか?
時々、生徒さんから真顔で質問されることがあります。
レッスンの内容ではなく、「なぜこの仕事をやろうと思ったんですか?」ってね。
これまでは、ひとりひとりに答えていましたが、この仕事をしようと思い立ったきっかけを公開するのもいいかもしれない。
そのように感じて、今回から少しずつアップをしていきます。
ボイトレを受けていたからこそ♪
実は私も20代の頃、某スクールでボイストレーニングを受けていました。
今は、全国展開を行なっているスクールですが、当時は東急東横線の某駅の近くに1校しかありませんでした。
そこでは、4カ月に1回の割合だったと記憶しています。
制作チェックといった上達度のチェックを行っていました。
社長、プロデューサー、レッスン担当の先生の前で課題曲を歌う。そこで認められれば上のクラスに上がっていける、といった仕組みです。
ボイトレ習っても歌が下手だった
ところが、ですよ!
同じ時期に入所した私の友人たちがどんどん上のクラスに上がっていってるのに、私だけが上がれないといった状況だったのです。
そう。つまり、歌が下手だったのです。
その頃の私は何かにつけて負けず嫌いでしたw
「何とか認めてもらいたいっ」
ハーモニカをカッコ良く吹ければ、社長、プロデューサー、先生はビックリするだろう・・・。
そんな欲から、以前途中で投げ出したハーモニカに手を出したのです。
外発的な動機づけからくるパフォーマンスを試そうとしていたんです。
勿論、そういった飛び道具的な考え方だけではなく、歌も上手くなりたかったですよ。
なので一生懸命練習したんです。ハーモニカも今、出来ることを存分に演れればイイ!
そう心に決めて、課題曲オケ(3拍子の曲だったなぁ)の間奏(曲の途中に器楽だけで演奏される部分のこと)にハーモニカのソロを入れようとしました。
ハーモニカプレイヤーとしてのきっかけ
実は、私は知る人ぞ知るハーモニカプレイヤーでした。
でした。と過去形で書いてあるのは、現在ではワンバイブスの室長の仕事がメインで、最近ほとんどライブで演奏していないからです。ライブすらやれていない。
もちろん、吹きたいときには1人で吹いています。やっぱりこの楽器は自分の一部ですね。
まぁ、いずれはまたやりますよ。何故って?
口や舌が疼くということは、身体が覚えているからです。
ハーモニカを道具に・・・
70年代、80年代ロックが全盛期の頃でした。
ミック・ジャガー(Rolling Stones)、ロバート・プラント(Led Zeppelin)、イアン・ギラン(Deep Purple)、スティーブン・タイラー(AEROSMITH)などの影響を受け、ハーモニカを始めました。
いわゆるロック・クラシックといわれているロックのジャンルです。
当時、楽器店に行って、教則本を買って始めました。
松田(ari)幸一さんの教則本でした。
買ったハーモニカはkey=CのものでメーカーはTOMBOでした。
ところが、どうにもうまくいかない。
吹く時に鼻息、鼻水も「ブハァ~~♪」とでてしまうし、吸うときは息が胸に上がって胸式呼吸になってしまいますw
ハーモニカを手にしてから、コツを掴めないまま、2ヶ月でほったらかしにしてしまいました。
で、先ほどの話に戻るわけです。
ほったらかしたハーモニカをまた持ち始め、望もうと考えたわけです。
何度も何度も歌って、ハーモニカを吹いて、録音して・・・
しかし、世の中そんなに甘くないっ!
私にとってとんでもない事態が起きてしまったのです!
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