今回から数回にわたりお届けする「パフォーマンス」の記事は、当教室の生徒さんに執筆してもらいました。それをお届けいたします。(いやぁ、素晴らしい文章力)
この生徒さんは、「書く」ことに加えたもう一つの算出能力、「話す」こととのバランスを考えて、「伝える声力アップコース」で学んでいます。
さて、パフォーマンスですが、ボーカリストとしてのパフォーマンス、楽器プレイヤーとしてのパフォーマンス、役者としてのパフォーマンスなど・・・。
自分が演じる側だったり観る、聴く側だったり、様々な面から思うことを書いていただいています。その中には、
といったものも採り上げています。
とはいうものの、パフォーマンスの軸や柱としては、以下の記事にあるように3つに集約されていますから。
教えることは、パフォーマンスにあたるのか?
パフォーマンスというと、まず演技や演奏を思い浮かべる方が多いのではないかと思います。
なので今回のタイトルにあるように、「教える」を「パフォーマンス」しましょうというと、少し疑問に思う方もいるかもしれません。
果たして、「教える」と「パフォーマンス」、この2つの用語は関連しているのでしょうか?
これについては色々な考えがあると思いますが、私は、大いにある!と考えています。
「教える」ということは、自身の経験から得た知識を、相手に伝えることだと捉えています。
ただし、知識があるだけでは、相手に何かを教えるということは難しいと考えています。
例えば、何の前触れもなく人に何かを教えなくてはいけなくなった状況を想像してください。
あなたには知識はありますが他人に教えたことはなく、もちろんそんな想定なども全くしていませんでした。
そこで、あなたは上手く教えられる自信ありますか?
「パフォーマンス」の代表である演技や演奏について、良いものをつくりあげるためには知識だけあってもダメで、当然のことながら事前の準備や練習が不可欠です。
中には即興でできる人もいますが、それは、事前にかなりの準備や練習があってのものなのでしょう。しっかりとしたアウトプットのためのインプット(知識はもちろん、準備や練習)があってこそ、良いアウトプット(演技や演奏)ができるというわけです。
たとえ知識があっても「教える」ことについての準備や練習をしていなければ、教えることは難しいということが、先ほど投げかけた問いで伝えたかったことです。
これらのことからまず、アウトプットのためのインプットがあって、アウトプットがあるという点で、「教える」と「パフォーマンス」は関連していると言えます。
さらに、そのインプットには知識だけでなく、その準備や練習も含まれるということも関連していると言えるでしょう。このことが「アウトプットのためのインプット」に繋がります。
教えるからには相手に分かってもらわなきゃいけないから、分かってもらうことを目指した準備や練習も必要であるというわけです。
これらのことが、「教える」と「パフォーマンス」が関連している理由だと考えています。
今からの「教える」ということ
これからの時代、人に「教える」ことの重要性はますます高まってくると言えます。
IOTやAIの進歩がますます進み、あと10~20年後に無くなる仕事!といった記事やニュースを目にしたことがある方も多いと思います。
世の中には様々な仕事がありますが、もちろん教える仕事についている方々にとっても例外ではありません。
ひとつ前の記事で、オンラインを使ったレッスン形態について取り上げていました。
オンラインを用いた「教える」ということも、今よりますます広まることが予想されます。
それは、IOTの進歩によって時間や場所を選ばないで「教える」ということも一般的になるということを意味しています。時間や場所を選ばないで「教える」という形が広まるということ、それは教えられる側の選択肢が増えることにつながります。
つまり、教える仕事についている方々は、教えられる側からますます選ばれるようになってくるということなのです。
教える仕事も決して安泰とは言えません。
さらに「教える」ということについて、AIでその役割を代替する研究が行われていたり、(ネットで検索すると、AI教師やロボット教師といった、教える仕事についている方にとっては物騒な?キーワードがたくさん出てきます 笑)
なんと、一部は既に実践されていたりといった声もあります。
ますます、教える仕事も安泰とは言えなくなってきたというのが現実味を帯びてきたかと思います。
しかし、この「教える」ということについて、その人に添った→応じたた教え方が必要である、ということはいくら技術が進歩しても変わらないと断言できます。
そして、膨大なデータから行動を導くことが最大の強みであるAIでも、人にできることを全て代替するというのは難しいと言えます。
つまり、ここに今からの「教える」ということについての価値を見出すことができるのではないかと思います。
それでは、今からの「教える」に必要なものは何か?それを次の記事で採り上げたいと思います。