今回は音楽と映画のお話をいたしましょう。
SNSで繋がっている友人かつミュージシャン仲間が熱く語っている。先日タイムラインからそんな文章が目に飛び込んできました!
【ブルースの魂 人生の苦しみに痛む魂の回復力】
実は20代後半から30代後半まで、ブルースという音楽にどっぷりと浸かっていた。そんな時期がありました。ある意味、自分の音楽の原点だったといっても良いくらいです。
このような背景からタイムラインに流れている彼からの記事に目を奪われ、「観たい」から「観るぞ」に変わっていったのでした。
自分の奥深くに眠っていた「ブルースの魂」は、まだ健在だ。
そう感じた自分は、この休みを利用して、UP LINK(アップリンク)吉祥寺まで観に行きました。
ブルースは「生きざま」だ!
まず、ブルースは生きざま!これを感じられてとても良かったという感想です。これは単なる音楽映画ではないのです。ブルースという音楽が生まれた背景、そしてそこに込められた魂の叫び(安心、不安、そして緊張と恐怖)を描き出しています。それもドキュメンタリーとフィクションを巧みに融合させることで・・・。
つまり、ドキュメンタリーとフィクションを曖昧にする手法を用いて、ブルースの深みへと引き込んでいくのです。これが良かったと感じています。
というのも、音楽やジャンルだけだと断片的な解釈、つまりある部分を切り取った意味付けになってしまうからです。そこでフィクションを織り交ぜた手法がとられたのでしょう。こうすることで「生きてゆく大変さそのもの(安心、不安、そして緊張と恐怖)」とブルースが密接に溶け合っている。僕はそのように感じます。いわば喜怒哀楽にフォーカスを当てた「生きざま」なのです。
ブルースとキリスト教
さて、ブルースは元々、19世紀後半に生まれた音楽でした。アメリカ南部で奴隷解放後のアフリカ系アメリカ人から民族音楽として出てきた経緯があります。
またブルースはキリスト教と関連も深いことでも知られています。ブルースを元にして発展していった音楽が、ゴスペルやワーシップソングだと言われています。どちらも奴隷の解放宣言後に生まれました。
はじめに、ワーシップソングの説明です。これは神様への感謝や告白、願いなどをテーマにした楽曲で、厳かに歌い上げられるキリスト教の讃美歌の一種です。
一方、神様を讃えるポジティブな歌が多いゴスペルに対して、 ブルースは日々の暮らしの酷さを嘆くネガティブ な歌が多いことが特徴のひとつです。
なお先ほど出てきた「喜怒哀楽」ですが、ブルースというと怒と哀が注目されがちです。しかしアフリカ系アメリカ人の心には苦しい状況の中でも喜と楽を見つけ出している。僕はそのように見てとれました。
ブルースは「祈り」だ!
さて、「祈り」というとあなたはどんなことをイメージするでしょうか?
多分大抵の日本人は「祈り≓願い事」という意味合いでとる。そのように推察します。具体的には神社での参拝方法からくる作法、またその振舞いや内容を指すのではないでしょうか。
ところがブルースでいう「祈り」というと、意味合いを広くとらえます。それは「キリスト教の祈りとほとんど同じようだ。」ぼくはそう判断しているんです。
【祈り】
元々は神様に申し出る、差し出す(ドイツ語のbieten)からきている。
願い、叫び、愚痴やうめき、意志表明などが祈りとなる。
そういえば日本では古くから「予祝」ってありますよね。簡単に言うと前祝いです。しかしキリスト教でいう「祈り」はもっともっと意味の範囲が広く深く扱われている。それが「予祝」の意味範囲まで及んでいる。僕はそのように思うのです。
まとめ
いかがでしたか?音楽は背景をたどっていくと生活観や価値観、国の民族観、果ては宗教にまで繋がっています。
この映画は、ブルース音楽の深い感情と表現力を理解するための貴重なリソースです。ミュージシャンたちのパフォーマンスやインタビューを通じて、ブルースがどのようにして生まれたのか?そして何を表現しているのかを知ることができます。また、ハーレムの若いカップルの物語は、ブルースがどのようにして生活と結びついているかを示しています。
さらに声の表現力と感情の深さについても多くの勉強が出来ます。ブルースの核心を理解することは、ぼくら日本人からするとまだまだまだでしょう。しかし表現としてどうあるべきか?は深く学べることが出来る。そう信じて疑わないのです。